Episode of TEAMO

今の仕事を選択した理由を辿ると、MYおじぃちゃんがいた。

Pocket

「なんで今の仕事を選んだの??」
友達と語っている時、お客さんとお話する時、親戚と久しぶりに会った時。僕はいつも幼少期の自分に自然と話がつながります。子供の頃から、「消防士になりたい!」とか「宇宙飛行士になりたい!」とか夢を描く子供ではありませんでした。

「職業」で選ぶことが理解できなかった、というか、そういう「職業」に子供の頃あまり触れてなかったのもあります。なりたい職業って、今でもやっぱりないや。

でも、これだけは言えます。

僕に影響を一番与えてくれたのはおじいちゃん

OJI_001

父方のおじぃちゃんは、毎週僕をどこかへ連れて行ってくれました。
2人で京都、神戸の純喫茶で過ごしたり、ゲームセンターへ連れてってくれたり、犬の散歩をしたり、お昼寝したり、車でドライブしてスピードだしすぎて事故ることも多々あっても「大したことあらへん」って言って笑ってたり。ハチャメチャダンディでハイカラなおじいちゃんは、僕にとって一番の友達みたいな関係でした。

  • おじいちゃんは、親族全員を集めて旅行や食事をするのが大好きでした。
  • いい肉を仕入れたから、ビフテキパーティ
  • 伊勢エビ食べ放題へいこうぜ、伊勢温泉ツアー
  • 川で泳ごうぜ、夏の川床すき焼き&魚釣り大会
  • 孫の誕生日だ、全員集合!
  • 花見はみんなで、桜大宴会。  他、多数。

親戚だけじゃなく、友達も多いおじぃちゃんの周りにはいつも人がいっぱい。シーズン毎、イベント毎の主催は、全て言いだしっぺのおじぃちゃん。僕が小学生の時、バブル絶頂期の時代だったと思う。国内・海外色々連れて行ってくれました。

僕は長男だけど、年の近い従兄弟のおにぃちゃんが4人いてるので、ポジション的には末っ子。集まった時は、一日がワクワクだらけで一瞬で時間が過ぎ去り、別れの時はとてもさみしい。でも、おじぃちゃんは毎週僕と遊ぶ約束をしてくれるからさみしくなかった。おにぃちゃんもたまに遊びに来てくれました。

そうやって、幼少期はおじぃちゃんを中心とした集まりが楽しすぎて、おじぃちゃんや従兄弟のおにぃちゃんたちが大好きすぎて、もうずっとテンションマックスでした。

おじぃちゃんの「楽しい」は、みんなが楽しい。

「それと同じの作ってー!」従兄弟のにいちゃんとブロックで遊ぶ

OJI_003

おじぃちゃんの家には、新品のおもちゃやブロックがいっぱいありました。たぶん、おもちゃの販売もやってた記憶があります。

倉庫にあった大量のブロックで、銃を作って従兄弟のお兄ちゃんと遊んでいた時のこと。

頭の中にあった即興の図面で、銃を作ったら、上の従兄弟のおにいちゃん達が、「俺にもそれと同じの作って―!!」ってテンション高めに言われました。その時、同じものを作ろうとしても、即興なので同じものが作れなくて、僕が最初に作った銃をあげることにしました。その時のおにぃちゃんたちの戦いぶりがとても激しかったのを覚えています。

僕はその時、「モノを形づくる」楽しさを初めて覚えたんだと思います。
たぶん4,5歳くらい。

自分が作ったモノで、おにぃちゃんが喜んでくれる。みんなが楽しんでくれるならもっと作ろう!ってなりました。だから、通ってた保育園でも、モノをつくるとき、新聞紙や粘土を使って、武器をたくさんつくって、みんなと遊びました。自分の手で作ったもので、みんなと過ごす時間がめちゃくちゃ楽しくなる。それなら、僕は道具をつくるよ!みたいな感じで、時間を忘れていろいろ作ってました。

バイト、専門学校でモノづくり・企画をやってみる

OJI003

時代はだいぶ飛んで、二十歳くらいのとき。
周りはみんな「進路」を選び始めるころ、やっぱり僕は「なりたい職業」はありませんでした。
なんとなく受かった大学も楽しいだけの時間だけが過ぎていくばかりなので中退しました。フリーターしたり、貯金のために営業社員やったり、海外行ったりして、やっぱり「モノづくり」の道に行こうときめました。

2001年、21歳の頃の話。 Webの専門学校に行きました。
学校ではソフトの使い方を教えてくれるけど、結局「何のために作るの?」は自分で考えましょうってことになりました。

「webを使って、何がしたい?」
自問自答して出た答え。

「んー、僕は人と繋がりたい!」
だから、僕が作ったウェブで人に出会って、そこで人と繋がろう!そうなってから、紙に構想を企画とラフデザインを描きまくり、仕上がった処女作が「ORIGINAL」ってサイト。

OJI_004

懐かしのオールFLASHサイト。ブログは掲示板CGI。全て手作り、手動。でも楽しかった。

  1. サイトコンセプトは超簡単。
    1.自分がオモシロい!って思った人に声をかける。
    2.会員になってもらう。
    3.今の目標を掲げてもらう。
    4.そこに向かっての日記的リアル自伝を書いてもらう。

「ORIGINAL」が出来て、友達だけじゃなく、仕事でも繋がったり、イベントをするときにライブハウスをただで貸してもらったり、人を紹介してもらったりと、いきなり周りの生活環境と行動範囲が広がりました。

自分の名刺を駅前や街中で配る

OJI0023

この頃、ロリポップサーバーが出だした頃。驚きの安さに助かりました。

またその時、人生初の名刺をイラレで作って、喜びのあまり、大阪はアメ村、神戸は三宮おっぱい公園、京都は京極ロックンプラザ、名古屋駅前など、自分の名刺を配ってました。ただただ面白そうな人を見つけては、直感で渡してました。9割怪しまれました。そりゃそうか☆

おもしろそー!って考えて、形作って、仲間集めて、イベントでもやろうもんなら、人のつながりが、またつながりを作る。「ORIGINAL」ってサイトを通して人と出逢えた体験は、僕にとって宝のような体験です。

もう一つ学んだこと

僕の親父は男ばかりの4人兄弟の3男。
おじちゃんたち全員経営者でして、昔はみんな仲良かったんだけど、お金の事とか色々あって今はほとんど会ってません。従兄弟のみんなも親の影響もあってか、今ではもう会わなくなった。親の影響って大きいかもしれないけれど、過去に何があったかなんて、本当のことは僕らは何も知らない。

じぃちゃんもばぁちゃんも亡くなって、あの葬式以来会ってないけれど、親は親。僕らは僕らの時代を生きたらいいと思うんだけど、人の感情というものは複雑なものでして。

いや、僕が言いたいことは、

OJI_002

にぃちゃんたちへ!!
親の人生乗り越えろよ!!あのかっこよかった頃のあなたたちは、もう僕の記憶の中にしかいません。今は、と言いたい。

このブログ、ぜんぜん人にも読まれてないと思うけど、みんな読むこともないと思うけど、俺はあのころから何も変わってません。あのみんなで遊んではしゃいだあの頃と何も変わってません。おじいちゃん悲しむよ、マジで。

金欲や物欲やねたみや嫉妬は、何も残さないし、何も生まないことを、悲しいかな親族で学びました。オレは立派に笑って生きてるよ!今は少しずつだけど、一人の人にめちゃ喜んでもらえるように楽しく、時にしんどいかもしれないけど、ちゃんとまっとうに仕事してるよ。

たぶん、従兄弟のだれかがこのブログ見てるとしたら、「武村惺」で検索したら出てくるよ。ねぇ、なんで僕の名前を検索したの?会いたかったら電話してー。僕の名前はめずらしい。心に星ってかいて「さとし」と読むから。利害関係や親の影響関係なく会えるならうれしいな。

だから僕のできることは、その人が喜んでもらえることを手伝う事。

僕は数字で言えば、1番じゃなくて、2番目の人です。1番の人をサポートする2番目のポジションです。

20歳の頃に、web制作から始まって、印刷物もこのころに始めました。

23歳の頃に、イベントの仕事もさわりでやって、PVなどの映像制作もかじりました。

28歳の頃に、関西で有名なファッションショーの土台を作った師匠に弟子入りして、

30歳の頃に、紹介で番組制作やイベント・ウェブ制作をしている会社を紹介してもらい5年勤めました。

35歳になって、TEAMO&COMPANYって屋号からスタートです。

ミーハーなことには全然興味がなく、どちらかと言えばアングラでアウトサイダーで、インディーズな精神の人たちと一緒に仕事していくことがとてもやりがいを感じます。今まで、色々芸能人の方々とも仕事を一緒することもありましたが、一番テンションあがったのは、エスパー伊藤さんです。

メディアの力に頼らず、媚びず、自力で自分の頭で考えて動いている人たち。会社やっている人もお店やっている人も、そんな人たちと仕事をしている時が、一番祭り感があって一番結果が出しやすいです。

「あれをやれば、こーなる。」とか、「あーやって、これをこーすれば、儲かる」とか。さーせん、全然興味ござりゃせん!なぞらず、あなただけのオリジナルのストーリーを、少しでも輝かせること。企画や制作を通して、少しでもお手伝いさせてもらえる今。いつもこれから!って気持ちで臨んでいきます。