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みんな子供の頃から「宝持ち」。小学5年で立派に天才!

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新商品や新サービスの発表の場である展示会。
準備が着々と進む中、数か月前に倉庫から見つけた小学5・6年の時の卒業文集を久しぶりに読んでみた。(僕は、小学5・6年は、同じ先生、同じメンバーで卒業まで学びました。)

その名も「六年の思い出アルバム(6-4)」
1クラス約40人の、卒業文集。
読んでみて、腹筋崩壊しながら思ったことはひとつ。

「小学5・6年の時点で、みんな天才やん!!」

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今の世の中は、とても便利で、手元で欲しい情報がすぐに手に入る。

僕が小学5・6年の頃の約25年前は、欲しい情報があれば、本屋に行くか、人のウワサで行ってみるか、テレビ・ラジオ・雑誌を見て、わざわざ「時間と手間」をかける必要があったけれど、今では欲しい情報が「すぐに手に入る」環境が当たり前になっている。

考えてみたら、慣れってスゴイですね。

今は情報があまりにも簡単に手に入るから、「自分で考えるクセ」みたいな本来の人の力は、今どうなってるんだろう。特に、「自分のこと」となれば、答えを外に求めすぎて、本当の自分の中にある答えを「自ら導き出す力」ってのは、昔と比べてどうなんだろう?良くも悪くも、ハイテクになった道具を使う側の僕らが、どう活用するかにかかているなぁ、と実感しまくりの今日この頃。

でも、どれだけ世の中が便利になっても、僕がこの文集を読んでハッキリと思ったこと。

『11歳、12歳の時点でみんな天才!』

想いのまま、心の声がしっかりと、ざらばん用紙に書かれている。すでに悟ってるし、正直やし!

僕がここで一番伝えたいことは、自分の核みたいなものは、「無い」んじゃなくて、「置き忘れてるだけ」なんじゃないかと。それは、確信のような仮説、かも。

ちなみにこれが、小学5年の僕が描いた「ゆめ」。

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私の一年の出き事
武村 惺

私は、一年悪かったこともあれば、よかったこともある。
みんなそれができて、生きていくのじゃないか。
(人類みな兄弟)ということをわすれては、いけない。人はころしたりもするが、しょせん小さい兄弟なんだから、警察も、つかまえると思う。その人が心のびょうきみたいなものだから、つかまえて、またきれいな心にして、ろうやからつかまえるのだと思う。
とっても楽しかった五年も、これでおわりだと思うとさびしくなる。
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私のゆめ

ぼくのゆめな、なれないけど、大金もちになりたいです。
私は、ゆめなんて、ほとんどもっていないから、どうでもいい。ゆめか。

文脈めちゃくちゃで意味不明ですけど、めちゃくちゃ正直wwwww
ほんとすごいし、今でも小学5、6年の自分と仲良くなれるわ~!マブダチです☆

子供の頃、なりたい職業なんて本当になかったけれど、粘土やブロックで作ったオブジェ、描いた絵とか漫画、自分が作った「何か」を人に見せたりして、1人でも「ナニソレ―!!僕も作って~」とか、「美味しい~」「楽しい~」ってなってもらうことが僕も嬉しいです。

今思っても、なりたい職業って思い当たりません。僕は目の前に現れた人やモノに、夢中になるクセがあります。その先には「喜んで欲しい人」がたくさんいてる。これから出逢うであろう「喜んで欲しい人」との出逢いも本当に楽しみなんです。

同級生のみんなの文集を読んで、もう子供の時点で既にキラキラ光ってる。

「宝いっぱいもってんじゃん!」「既に宝もちや!」と、普通に思いました。

もし、みなさんの実家の押入れや倉庫に昔の文集が眠ってたら、何十年ぶりに開いてみてください。もしかしたら、「今、自分の心が求めているモノ」のヒントが描かれているかもしれませんよ☆

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