Episode of TEAMO

地元、京都洛西ニュータウンに思う。僕たちはみんな移民的カルチャーピープル?

洛西ニュータウン
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京都市の西の端っこにあるニュータウンをご存知ですか?

約40年前、1976年に入居開始をした「洛西(ラクサイ)ニュータウン」。僕の育った町です。通称「ラクサイ」と言われます。

隣は、向日市・長岡京市、国道9号線に挟まれています。

画像:京都市住宅供給公社 洛西事業部

ラクサイmap/画像:京都市住宅供給公社 洛西事業部

僕は1979-80の世代だから、洛西ニュータウンとはほぼ同世代。

京都市内なのに、京都の人には「京都人じゃない」と言われることが多いです。(苦笑)

「ラクサイ」は元々たけのこの竹林が広がる農山村地域だったみたいです。

主に自慢できるのは、緑いっぱいの自然と、百貨店の「高島屋」があるのと、「ラクサイ」のセーヌ川「小畑川」という一級河川が流れています。

画像:京都洛西散歩マニュアル

一級河川「小畑川」/画像:京都洛西散歩マニュアル

最近では漫画「宇宙兄弟」の作者がラクサイ出身(僕の1つ上の学年)なのと、他もたくさんあるけれど、「ラクサイ」は団塊の世代の人たちが、当時たくさん移り住んできた町です。

画像:デパ地下バイヤーのチョイ悪日記

松岡修造が来た「テニスコート」/画像:デパ地下バイヤーのチョイ悪日記

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ついこの間、小学校からの旧知の間柄な友人がお店にやってきてくれて、地元「ラクサイ」について語ってました。

みんな「ラクサイ」に移り住んできた、ある意味僕らは移民文化ピープル?

歴史の浅いニュータウンだから、昔から地元で続いている「風習」とか「祭り」とか「行事」がもちろんない。

僕らのお父さん、お母さん達はみんな色んな所から移り住んできました。

僕は父方の親戚が「ラクサイ」に住んでたけど、僕の友達の親戚は京都府・他府県にいる友達など色々。

大人になって、例えば昔から続く「だんじり祭り」や「御柱祭」など地元の人たちの一体感を見ていると、「あ、僕にない感覚だな」と感じることがありました。

「あそこのおじいさんはここら地域の地主だ」だとか、「昔ここで大きな戦争があった」だとか、そういうのももちろんなくて、全てがこれから。

地元の常識とか、たぶんそんなのなかったと記憶しています。

マンモス学校ばかりだった「ラクサイ」で遊べば誰かに会う環境

みんなのおもちゃ屋/画像:ラクセーヌ

みんなのおもちゃ屋/画像:ラクセーヌ

僕が中学生の頃は、1学年400人以上、ひとつの学校で1000人以上の子供がいました。

だから、どこに遊びに行っても誰かにあう環境。悪いことしても、誰かが見てる、そんな環境でした。

小学生の時万引きして捕まった時、やっぱり誰かが見ていて、そこから中学卒業までついたあだ名が「マーブル」でした(笑)

自然も公園も竹林もたくさんあって、駄菓子屋も商業施設もなんでもあった環境は、遊びのフィールドでした。お金がなくてもアイデアと遊び心だけで、日が暮れるそんな毎日。

今みたいに便利じゃなくても、そこにはふれ合いもあれば、ヤンキーもいれば、喧嘩もあれば、笑いもあったけど、「いじめ」はなかったな、「いじり」はあっても。

それはさておき、僕の地元「ラクサイ」の今。

洛西ニュータウンの一枚/画像:アラウンド・藤白台

洛西ニュータウンの一枚/画像:アラウンド・藤白台

どこに行っても知り合いがいた「ラクサイ」も、40年経った今、京都市なのに過疎化が始まっているという問題にぶつかってます。

確かに、たまに実家に帰って高島屋に行くと、若い人がほとんどいない。

僕らの育った「ラクサイ」も人口減少に伴って、高齢化が進んでいるという事実。どうすることも出来ないけれど、その話を聞いて少し悲しくもなりました。今後、空き家も増えるらしい。

一時代、「ラクサイ」で育った同世代の人たちのほとんどが、地元を出て、各地で生活してることだろうし、ある意味移民文化ピープルの集まりだったんだ!って勝手に仮説を立てて、勝手に納得している僕です。

とてもいい環境で育ったなぁって、友人と振り返って思ったのは、概ねそんなことでした。